2016年01月10日

人生最初のやうつりと母の死

私の人生初めてのやうつりは、19歳の時です。
母に買ってもらったボストンバック一つを持って当時の急行天草で上洛し、乳牛が12頭飼育されて居た、嵐山の近くの牧場に落ちつきました。

昨年その母が亡くなりました。93才でした。
九州の福岡県田川郡に生まれ、生家近くの病院で最期を迎えたのです。
母の話で記憶に残っているのはすべて戦後の話ばかりでしたが、一番印象に残っている話は母の兄の話です。

終戦間近に、北海道の千歳基地から大分の宇佐美空軍基地に移動の途中、津軽海峡を渡る輸送船が米軍機の爆撃に会い撃沈されてしまったのです。一緒に居合わせた部下が戦後その時の状況を報告に来たそうです。
「曹長殿は、部下を先にボートに乗せて自分は海に飛び込んで泳いで渡ろうとしたのですが、何分冬の津軽海峡は5分も水の中におれず、皆の見ているところで沈んで行かれました。」

何度も何度も同じ話を聞かされました。長男が戦死し、多くの田んぼを自分一人で耕し、収穫をして姉弟と私の3人兄弟を育て上げてくれました。その時の母の苦労を間近に見て私たち兄弟は育ちました。
ある時、近在の町の田鍬き大会があり何と優勝をして優勝旗を持って帰って来た時の事をよく覚えています。

現金が中々農業の場合入ってこないので、近所の土木作業に出て学校に必要なものを買ってくれました。
市場や隣町に運ぶ野菜が載ったリヤカーを後ろから押してついて行ったものです。

何分男勝りにならないと生活がしていけないので、よく親父と衝突をしてどつかれていました。
京都の私立大学に入学した時、入学金が出来なくて困っていたところ「これが最後やきね。入学祝や!」と言ってポンと現金を渡してくれました。

良くあれだけのお金を貯めていたものです。その恩に報いる為、絶えず複数のバイトをしながら授業料を払い、無事4年で卒業しました。

私が帰郷すると、必ず鯨の刺身とサバ茶漬けそれに自家漬けの高菜漬けを出してくれました。
あれ程うまい食事は関西では食べれなかったし、もう永久に食べられなくなりました。

とてもさみしいです
posted by ミスター at 15:58
"人生最初のやうつりと母の死"へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。