2016年04月29日

自動車保険の重要性

仕事の都合で住み慣れた滋賀県を離れ、横浜にやって来たのは一昨年の12月でした。

娘と息子は以前からこちらに住んでいたので、願っても無い転居でした。
ただこちらは駐車場が大変高い上に数が少ないと聞いていたし、案の定落ち着き先のマンションにも駐車場はあるが空きスペースが無く近くにも空きがないようでした。

娘はこちらは交通網が発達しているから滋賀県程車が必要では無いし、どうしても必要な時はレンタカーを借りる方が遥かに効率が良いと言う意見に納得し、以前から欲しがっていた職場の仲間にゆずりました。

こちらに来て1年半以上になるが確かに車は必須のものではないし、どこに行くにも自転車か徒歩なので随分脚力も回復して来た。

実はこちらに来て驚いたのは脚力が数年前から比較すると極端に落ちている事に気がついたのです。
マンションが小高い丘の上にあるので、自転車でかなりの距離の上り坂を上らないといけない。ところが最初マンションには自転車に乗ったままたどり着けなかった。

それからは毎日自転車で出かけるようにしたところ、かなり脚力が戻って今は一度も下りずに帰れます。

ところが最近娘と息子が滋賀に帰りたいと言うようになりました。私もこちらに来てみて初めて滋賀県の良さが改めて理解でき、琵琶湖や田園の風景がふと頭に浮かぶことが多くなって来ました。

家族で滋賀に戻る事を考えていると、しまったと思うことが一つあります。

それは自動車保険を解約した事です。

事故もしてないし掛け金がかなり安くなっていたのです。だけどまた新しく一から始めなくてはなりません。

こちらに来ても乗る機会は全くないわけではなく、あのまま継続していればよかったと後悔しています。

でもそのうちにそんな事には関係なく滋賀に帰る事になりそうな予感がします。

暇に任せて保険について知識を得ようと考えています。

これです。↓
posted by ミスター at 17:04| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2016年01月10日

人生最初のやうつりと母の死

私の人生初めてのやうつりは、19歳の時です。
母に買ってもらったボストンバック一つを持って当時の急行天草で上洛し、乳牛が12頭飼育されて居た、嵐山の近くの牧場に落ちつきました。

昨年その母が亡くなりました。93才でした。
九州の福岡県田川郡に生まれ、生家近くの病院で最期を迎えたのです。
母の話で記憶に残っているのはすべて戦後の話ばかりでしたが、一番印象に残っている話は母の兄の話です。

終戦間近に、北海道の千歳基地から大分の宇佐美空軍基地に移動の途中、津軽海峡を渡る輸送船が米軍機の爆撃に会い撃沈されてしまったのです。一緒に居合わせた部下が戦後その時の状況を報告に来たそうです。
「曹長殿は、部下を先にボートに乗せて自分は海に飛び込んで泳いで渡ろうとしたのですが、何分冬の津軽海峡は5分も水の中におれず、皆の見ているところで沈んで行かれました。」

何度も何度も同じ話を聞かされました。長男が戦死し、多くの田んぼを自分一人で耕し、収穫をして姉弟と私の3人兄弟を育て上げてくれました。その時の母の苦労を間近に見て私たち兄弟は育ちました。
ある時、近在の町の田鍬き大会があり何と優勝をして優勝旗を持って帰って来た時の事をよく覚えています。

現金が中々農業の場合入ってこないので、近所の土木作業に出て学校に必要なものを買ってくれました。
市場や隣町に運ぶ野菜が載ったリヤカーを後ろから押してついて行ったものです。

何分男勝りにならないと生活がしていけないので、よく親父と衝突をしてどつかれていました。
京都の私立大学に入学した時、入学金が出来なくて困っていたところ「これが最後やきね。入学祝や!」と言ってポンと現金を渡してくれました。

良くあれだけのお金を貯めていたものです。その恩に報いる為、絶えず複数のバイトをしながら授業料を払い、無事4年で卒業しました。

私が帰郷すると、必ず鯨の刺身とサバ茶漬けそれに自家漬けの高菜漬けを出してくれました。
あれ程うまい食事は関西では食べれなかったし、もう永久に食べられなくなりました。

とてもさみしいです
posted by ミスター at 15:58| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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